どうもこのブログでは、一つの記事が長くなりがちなので反省しています。
長い記事は書くのも時間がかかるので自分にも厄介で、読むほうもたぶん大変。
できれば、もうちょっと気楽に行きたいところです。
しかし頭の中から伝えたい内容を分かりやすく伝えるのは非常に難しい。
とりあえず今日は、ブログについて思うところを書きます。
外部駆動の思考
脳みそは長い人生の膨大な記憶を蓄積していますが、日常生活の中でそれらすべてが常に意識されるということはありません。
何かしらの刺激があって初めて、思い出すことができる仕組みになっているようです。
たとえば、私が「遠足の思い出」と書けば、あなたは瞬時に何かしらの記憶を引っ張り出してくることができると思います。
この経験則から、脳は外部からの刺激によってその活動を活発化させると考えられます。
たとえばブレーンストーミングは、似たように新しいアイデアの連鎖を活用するために手法かされたものですね。
ブログでも似たようなことは起こります。
面白い記事・不快な記事など、自分の琴線に触れる情報を得たとき、思考が働き新しい考えが生まれてくるようです。
それがコメントやトラックバックで増殖し、ソーシャルブックマークなども手を貸して思考の波が拡大します。
知識とメディア
ところで、新しいアイデアは何もないところからは生まれない、という話は月10冊以上読む読書術を書いたときにもお話ししました。
新しい知識を得るために本を読むことは効果的なんですが、実際には本を読まない人というのは沢山います。
本を読まなくても、その人たちは知識を吸収しています。
おそらく、知識を蓄えたい(もしくは刺激を得たい)と思うのは生物の本能的な欲望です。
メディアやエンターテイメントの人気はここにある気がしてきました。
多くの人はテレビ・音楽が大好きで、何かしらの刺激を求めています。
もちろん、それらの刺激を一切受けず、自分の中の情報と向き合いたいという時もあると思います。
しかしやはり、脳の刺激を求める欲求は無くなることはないでしょう。
インターネットは格好の情報収集の場です。
記憶の足跡
記憶が曖昧で、頼りないものであるということは誰もが感じるところです。
この問題を克服するためには、記録を残しておくことが必要でしょう。
以前なら日記を書きましたが、最近ではブログが取って代わりつつあります。
結果的に、これにより人々が刺激をあたえ合うインフラが出来上がりました。
伝えているものは頭の中身であり、作り出しているのは人類が共有する一つの情報空間です。
脳の神経細胞は一つだけ取り出してシャーレの上に乗せると、周囲に縦横無尽に枝を伸ばして必死にネットワークを張ろうとするそうです。
人間がやっていることもおそらく同じことなのでしょう。
参考文献
私の脳に対する考え方は、この著者である池谷裕二さんの影響をかなり受けています。今回の記事に書いた記憶に関することは、確かこの本に書かれていました。
こちらは先月読んだばかりの本。またいろいろと刺激をもらいました。
・・・あぁ、また中途半端に記事が長くなってしまいましたorz
推敲するのも面倒なので私にはこれくらいが私の限界のようです。
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